興信所と探偵の違いと歴史

「夫が浮気しているようだが証拠もなく浮気相手もわからない」

「妻や夫や子供が家出した」

「娘の結婚相手が浮気していないか、借金をしていないか、素行が心配だ」

「雇用するに値する人物なのかどうか」

「ストーカー被害に遭っているが、相手が誰だかわからない」

「自分の部屋の会話を誰かに盗聴されているようだ」

「仕事の取引先として信用できる法人なのだろうか」

これらの問題を解決するために相談する先は、探偵・興信所になるでしょう。

それでは、探偵と興信所はどうちがうのでしょうか?

あるいは、違いはなのでしょうか?

今回はそのあたりについて解説します。

悩みを解決するための相談先、探偵・興信所

タウンページを見ると、探偵と興信所は同じカテゴリーにあるので同じにも思えます。

実は探偵と興信所は、一般的に歴史と成り立ちが違うと言われています。

今回はそれぞれの歴史と成り立ちを見てみましょう。

探偵興信所の歴史

探偵興信所の歴史

西洋の影響で日本にも興信所が誕生

日本では西洋諸国とおなじく、産業革命が起きた明治維新以降に商工業が盛んになったという時代背景があります。

これが、日本の興信所の成り立ちに大きく関係しています。

商工業が盛んになると企業間の取引が重要視されるのが常。

取引先が「信用できる会社かどうか」を調べる、信用調査の需要が急増しました。

日本初の興信所『商業興信所』

そんな中、我が国初の興信所が誕生します。

1892年(明治25年)外山脩造が大阪に設立した『商業興信所』です。

外山脩造は当時の日本銀行理事であり、『商業興信所』は日本銀行と大手銀行グループの共同出資で設立されました。

外山はアサヒビールの創業にも関わった人物です。

1887年(明治20年)、彼が米国とヨーロッパへ経済機関の視察に行った際に、強く感じたのがビール醸造事業と、信用調査機関の必要性でした。

有名信用調査会社の前身

同年1892年、もう一つの興信所が誕生。

海外視察より帰国した、民間人の白鳥敬之助が創業した『商工社』です。

その後、商工社は1933年5月に法人化して『株式会社東京商工興信所』となります。

そして、戦後は1974年の商号変更で現在の『株式会社東京商工リサーチ』になりました。

歴史上の人物が関わった興信所

1896年(明治29年)には渋沢栄一が『東京興信所』を設立。

この『東京興信所』と前出の『商業興信所』は、後の昭和19年(1944年)、戦時経済体制のおり企業合同して『東亜興信所』になりました。

現在、信用調査会社最大大手の前身

1900年(明治33年)には帝国興信所(現在の帝国データバンク)が設立されます。

創業者は元福岡日日新聞(現西日本新聞)記者の後藤武夫でした。

信用調査がメインだった当時の興信所

その後は、1902年(明治35年)に内尾直二が『人事興信所』を、1906年(明治39年)には藤山雷太が『東京商業興信所』を開設。

いずれもその時代に需要の多かった、企業調査、信用調査を売りにする「興信所」であったと言われています。

上記の設立の経緯や時代から読み取れように、当時の興信所の業務は取引先、つまり企業に対する信用調査がメイン。

ほかの業務内容としては雇用調査や人事調査、それ以外では結婚調査などが挙げられます。

以上紹介した創成期の興信所の中で、今でも活躍しているのが最大大手の『株式会社帝国データバンク(帝国興信所)』。

そして『株式会社東京商工リサーチ(商工社)』です。

帝国データバンクと東京商工リサーチは、莫大な企業情報データを有します。

『大手信用調査会社』ならではの情報提供と、対象企業への取材調査を中心に業務を行っており、その分野でシェアの大半を占め確固たる地位を築いてきました。

この二社は、世間一般がイメージする興信所とは大きく異なります。

ちなみに、KEN探偵事務所は企業信用調査を行っています。

しかしその調査内容はデータ提供や対象企業への取材にとどまりません。

尾行・張込み・証拠撮影・聞き込みといった積極的手法によって、より踏み込んだ裏側の情報も収集します。

東京日本橋に探偵事務所誕生

東京日本橋に探偵事務所誕生

日本初の興信所『商業興信所』の設立から遡ること3年前。

1889年(明治22年)東京日本橋に日本初の探偵社が誕生します。

設立者は日本橋の士族・光永百太で資本金は1,000万円だったと言います。

「何事にかかわらず公衆の依頼を受け、秘密事件を探知して依頼人に報告する」という広告を出して集客していたそうです。

私立探偵そのものです。

明智小五郎のモデル名探偵岩井三郎

その4年後の1895年(明治28年)、同じ東京日本橋に行動調査の依頼を中心とした探偵事務所が誕生。

有名な『岩井三郎事務所』です。

所長の岩井三郎は元警視庁刑事。

警察時代に培った尾行・張り込み・聞き込みなどの調査スキルを活用し、さまざまな調査案件を解決していました。

その調査実績と名声はすぐに有力者の間に広がって行き、国から事件調査の依頼も来るようになったといいます。

その中でも有名なのが「シーメンス事件」。

ドイツ企業シーメンス社と日本海軍高官による贈賄事件です。

大日本帝国政府からこの事件の調査依頼を受けた岩井三郎は、日清戦争当時カウンターインテリジェンス(防諜)任務で培った能力で諜報活動を実施。

賄賂の証拠を集め事件解決に導きました。

またこのような大事件のほかに、現在の探偵事務所と同じく浮気調査や結婚調査、人探しなども行いました。

おもしろいのは、岩井三郎の名が落語家や歌舞伎役者のように襲名になっている点。

2代目は太平洋戦争終結後から、弁護士兼務で探偵事務所の経営を引き継ぎました。

そして1956年(昭和31年)以降は3代目にバトンタッチしたあと、自衛隊の前身である警察予備隊の情報将校に就任しています。

その後、岩井三郎事務所は『株式会社ミリオン資料サービス』に社名変更して現在に至ります。

今や探偵と興信所は同義語?

探偵と興信所

このように探偵と興信所は成り立ちがちがい業務内容も分かれていました。

しかし戦後、時が経つにつれて探偵も興信所も、取り扱い業務に違いが無くなってきます。

たとえば浮気調査、素行調査、人探しなどは、探偵事務所だけでなく興信所も依頼を受けるようになりました。

また逆に、信用調査を受ける探偵事務所も増えて行きました。

やがて探偵と興信所は、事実上の同義語(語形は違うが意味は同じ言葉)になりました。

それは映画やテレビを見てもわかります。

たとえば今から39年前に大ヒットした映画、『蘇る金狼(79)』(主演松田優作)にこんなシーンがあります。

岸田森演じる「秘密興信所」の石井(殺しも請け負う人物)に捕まって脅される朝倉(松田優作)が、身分を隠すとき言ったセルフは「私もあなたと同じ興信所の探偵なんですよ」でした。

映画『海よりもまだ深く(2016)』でも、阿部寛演じる主人公は「山辺興信所」の探偵となっています。

このように現在では、探偵と興信所は同じものとして扱われています。

ただし、帝国データバンクや東京商工リサーチなど老舗大手興信所は今でも信用調査専門で、浮気調査や人探しなど探偵業務は行っていません。

現代は、「探偵興信所」と「大手信用調査会社」に別れていると考えるのが適切です。

「探偵」か「興信所」よりも個々の業者の違い

「探偵」か「興信所」よりも個々の業者の違い

このように現在、探偵も興信所もほぼ同じ意味になっています。

業者によって浮気調査や人探しが得意であったり、信用調査、企業調査が得意であったりと個々に特色があります。

依頼を検討している方は、ご自身が希望する調査項目を得意とする探偵興信所がどこかを見極めることだ大切です。

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